うつ、はじめました。

うつの体験記を中心に、そのほか雑談を記載していきます。

「うつ状態」での療養生活~Part2~

 2016年7月の1か月を療養に充てることになった私ですが、一番大事なことは「食事」をどうするかでした。外出することも難しい状態だったので、まずは実家に帰ることにしました。実家の利便性として下記のことが挙げられます。

・食事の準備・後片付けをしなくてよい。

・栄養の偏りがなくなり、いろんな料理が提供してもらえる。

・洗濯・風呂の準備・後片付けをしなくてよい。

・私の地元は田舎なので、今住んでいるところより空気がきれい

 

 簡単に言えば両親に生活のすべてを委ねることにしました。30代のいい歳をした男が取るべき行動ではないと思いますが、病気の立場なので文句も贅沢も言えませんし、上司からも「実家に帰るべき」だと忠告を受けました。実家に帰る道のりが非常に長く、体力的にも精神的にも疲弊しましたが、次回の通院までは実家でゆっくりすることにしました。

 

 実際に実家で療養していると、今まではなかなか感じなかった親の有難みというものがよくわかるようになります。自分が親の立場で「うつ状態」の子供が帰ってきたらどのような気持ちになるのか考えてしまいました。私の両親は温かく迎えてくれましたが、自分が親だったらそのような気持ちになれたのか悩んでしまいます。「うつ」で悩んでいる方々はまずは実家に帰省するというのも一つの点かもしれません。

※実家から通勤している人は家族がいれば自分の精神状態が病んできているということにいち早く気づいてもらえるかもしれないという利点があります。逆に両親や家族と上手くいっていない場合はそのことが「うつ」の原因になるかもしれませんが・・・

 

 実家には次の通院までの約10日療養し、実家に帰ったおかげで食欲も少し戻り、精神的・体力的にも少しは戻ったような気分でした。しかし、実家で療養している間に不眠にも効果のある抗うつ剤リフレックス」1錠を服用していましたが、不眠症への効果はさほどありませんでした。特に以前からあった「嗚咽」の方がひどく、吐きそうな気分が継続した状態でした。今考えると仕事に早く戻りたいという焦りがあったのだと思います。

 

 ちなみにこの時点では薬は1種類だけですが、現在は調子が悪い時だけ服用する薬をあわせると最大で7種類服用しています。2度目の通院から次々に薬が増えていきます。完璧に薬漬けの毎日なってしまっています。読んでいる読者のあなたはこうならないように気を付けてください。

 

 今回はここまで。閲覧いただいた読者のあなたへ、ありがとうございました。またご指摘・質問等あればコメントのほどよろしくお願いいたします。

 

爽眠α

「うつ状態」での療養生活~Part1~

 今回は精神的にも肉体的にも疲れた中で、「うつ状態」により7月の1か月間を療養することになったので、その生活について纏めていきたいと思います。

 

 まず、療養するといっても有給休暇を取得し、更にサラリーマンの立場であることに変わりはありません。更に引継ぎも当然ながら出来ていない部分もありますので、上司と相談した結果「質問することがあると思うので、いつでもメールは確認できる環境にする」、「必ず週に1回から2回は私より健康状態のメールをする」という条件で療養することになりました。本来であれば仕事から完全に切り離した状況にすることがベストだと思いますが、こちらにも療養することの罪悪感はありますし、パソコンを開かなくてもスマホで確認できる時代ですので、双方が納得した上で療養に入りました。本当にスマホは便利なモノだと改めて認識することになりました。

 ※結果的には上司や同僚が気を遣ってくれた結果、ほとんどメールでの仕事の連絡はありませんでした。

 

 さて療養に入ったのですが、私は「一人暮らし」を実はしており、生活も非常に不規則なモノになっておりました。療養に入る前は月曜日から金曜日は毎日2時間から4時間ほど残業をこなしており、食事はコンビニ弁当・外食が日常化していました。土日はご飯を炊くなど、少しは自炊をしていましたが、基本的には包丁を持つということはありませんでした。風呂についても湯船につかることなく、シャワーで済ましていました。

 

 療養に入ったからと言って、自炊を始めたり、湯船につかったりするということはありません。何故なら全てのことが「面倒くさい」という心理状態になってしまっているからです。

    例えば「食事」、「風呂」、「洗濯」、「外出」更に「ベッドから起きる」という普段なら当たり前に出来ることがすべて面倒くさくなってしまうのです。倦怠感や憂鬱な精神状態が仕事だけでなく、生活にも影響を及ぼすようになってきたのです。

 

 「ベッドから起きる」という行為でさえ、朝の6時に目が覚めて実際にベッドから離れるのは昼以降ということが何度もありました。トイレに行きたいときは力を振り絞ってトイレまで行き、そのままトイレでぐったりしていることもありました。もし、そのまま倒れていたら誰も気づかずに死んでしまっていたかもしれません。

 

 ここで大事なことはとにかく栄養云々より「食事」をすることです。私が体調を壊す前から体重が5Kg~6Kgほど減っていました。特に私の場合は背が低いので結構な体重の減りようだったのです。

 今回はここまで。閲覧いただいた読者のあなたへ、ありがとうございました。またご指摘・質問等あればコメントのほどよろしくお願いいたします。

うつ状態と診断されて~会社休養へ~

 今回は前回に記載したとおり、先生(医師)との診断について纏めていきたいと思います。まずは問診票をもとに診断をしていきます。

・先生「今日はどのような症状で来院されましたか?」という質問に対し、

・私「仕事に対する不安、人間関係などで不眠症に陥り、朝起きても体が動かないし、食欲もない。更に倦怠感があり、全く何もやる気のない無気力な状態」だと思っていたことをそのまま答えました。先生の質問は続きます。

 

・先生「いつ頃からそのような症状が出始めましたか?」

・私「2016年に入ってから不眠症の症状が出始め、6月になってからは倦怠感や無気力な状態になってきた。2016年3月からは睡眠薬としてかかりつけの内科医に処方された「リスミー」を服用し、途中で一旦「マイスリー」を服用していたが、効果が短いため現在は再度「リスミー」を服用している」と答えました。

 

 その後に「メンタルヘルスチェック」の結果を確認しました。結果の内容からつ用意ストレスと不安があることが感じ取れるため、診断の内容と合わせて「うつ状態」の可能性があると診断されました。うつ病」と「うつ状態」どのように違うのかを尋ねたところ、「気分的な精神的なエネルギーが低下した状態」のことを「うつ状態」と呼び、「うつ病」は症状の数が何個か以上満たす必要があり、さらに少なくとも2週間以上持続している且つそれに伴い、日常・社会生活に支障が出ていることも条件となるようです。素人の私には説明するのが非常に難しいため、詳細は下記を参照いただければと思います。

    診断をしている中で最終的に処方された薬が「リフレックス」となります。詳細は下記を参照いただければとおもいますが、簡単に言えば即効性があり、不眠にも効果のある抗うつ剤とのことです。その薬を2週間分処方していただきました。心療内科の処方する薬なので治療ができるという期待が大きかったのは事実です。しかしながら大きな効果もなくそのまま会社を休み続けることになります。ここから薬の種類・量が増えることになっていきます

seseragi-mentalclinic.com

    そして、薬が処方されてから数日後に上司と相談した結果、7月の1か月間は休養することになりました。そのため6月末の数日間で同僚の方々への業務の引継ぎを行うことになりました。ただでさえ5月に先輩が異動になり繁忙な中、更に私まで休養する事態となり本当に申し訳ない気持ちで一杯でした。何とか引継ぎの間の数日間は出社することは出来ましたが、引継ぎが終わると精神的にも肉体的にもヘトヘトでまるで抜け殻のような人間になってしまいました。

    今回はここまで。閲覧いただいた読者のあなたへ、ありがとうございました。またご指摘・質問等あればコメントのほどよろしくお願いいたします。

うつにかかるまで~心療内科の扉を開く~

 前回は「心療内科」へ通院することによる様々な不安、そして迷いの内に病院の扉を開いたところで終わりましたので、今回はその続きからです。

 

 2016年6月某日、遂に心療内科の扉を開きました。病院の中は外観と同様に綺麗で清潔感があり、受付の女性の方の対応も非常に親切・丁寧でした。何より驚いたのは同じような患者が多く、非常に混雑していたのを鮮明に覚えています。保険証を渡したのちに初診ということで問診票の記載から始めました。ホームページ上からダウンロードして、先行して記載することも可能だったようですが、当時の私にはそのような余裕がなかったことを今となっては振り返ることができます。ちなみに問診票に記載する内容は主に下記のような内容でしたので、簡単に抜粋をしてみます。

 

【主な問診票の内容】 

・今日はどのようなことで来られたのか? また、それはいつごろからなのか?

・食べ物や薬などのアレルギーはあるのか?

・今までに治療を受けた病気、治療中の病気、服用中の薬はあるのか。

 

 上記の内容のとおり特段変わったことを記載する必要はありませんでした。しかし、その後に「メンタルヘルスのチェックリスト」と呼ばれるテストが実施されました。簡単に言えば質問に対して、どのように感じるかを4拓の中からチェックして採点してもらうものです。例えば下記のような質問がありました。(5分もあれば終わるテストです)

 

メンタルヘルス チェックリスト例】

(質問内容 例)最近何をするにもやる気が出ない

(回答例)1:出ない 2:やや出ない 3:やや出る 4:出る

 

 上記のような質問が25問あり、それを採点してどのような精神的・心理的な状態化を視覚的に見えるようにしているテストだと個人的には感じました。当然のことながら「心療内科」に通院しているぐらいですから、お世辞にも前向きな回答は出来ないのが本音です。

 

 問診票やテストをしたりしている間に1時間以上待ち、遂に自分の順番が回ってきました。不安と緊張の中診察室の扉を開けると、非常に穏やかで話しやすそうな先生がその場にいました。今でもその先生に最低でも2週間に1度は診察を受けていますが、やはり担当する先生が誰に当たるかは本当に大事なことだと思いました。もし先生と出会わなければ自分に合った心療内科を探し回る羽目になり、病気だと思い通院したのに、自分に合った病院を探す労力で病気になっていたかもしれません。本当に先生と出会えてよかったと持っております。次回は先生との診断のやりとりについて纏めていきたいと思います。

 今回はここまで。閲覧いただいた読者のあなたへ、ありがとうございました。またご指摘・質問等あればコメントのほどよろしくお願いいたします。

※ここで「うつ」とは何の関係もありませんが、現在読んでいる本を紹介したいと思います。読んでいる途中なので、書評は特にできませんが興味のある方は読んでみる価値はあるかと思います。

 

隷属なき道 AIとの競争に勝つ ベーシックインカムと一日三時間労働

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うつにかかるまで~心療内科までの道程~

   前回は会社を1週間全て休み、遂に「心療内科」に通院したというところから終わりましたので今回はその続きからとなります。

 

 2016年6月某日、上司とも相談した結果、遂に不安な気持ちで一杯ながらも「心療内科」に通院しました。ここでの不安な気持ちというのは以下の3点が当時は思い浮かびました。

①「心療内科」いわゆる「精神科」というものに対して良いイメージがない。

②会社での立場がどのようになるのか。

③休暇を取る際に引継ぎが無事に出来るか否か。

 ①に対しては私の個人的な偏見があることも否めませんが、「心療内科」に通院するというのは「精神的に弱い人間」や「怠け者」が通院するというイメージがあり、お世辞にも良いイメージはありません。病院に通院すること自体が良いイメージではないと思いますが、誰でも年に1回ぐらいはインフルエンザや風邪などで通院することはあるかと思います。

※個人的には内科・外科・眼科・歯科などであれば周囲も抵抗なく受け入れるイメージがあります。(私の個人的な意見です)

 

 ②は会社に「心療内科」に通院していることが知れ渡れば、人事的な評価が下がるイコール給料が減るのではないかという不安と周囲(特に同僚)の目が腫物を触るように変化するのではないかという不安がありました。

 

 ③は最悪のケースですが、長期休暇や入院などが必要となった場合にどのように現在持っている業務をどのように引き継ぐべきかを考えていました。私が勤めている会社の悪いところで、業務マニュアルがなく、あっても見るという習慣がないために個人のスキルによるところが大きいというのが本音です。更に言えば私がいなくなることにより他の同僚達に大きな負担がかかってしまうという不安がありました。

 

 読んでいただいているあなたにとっては共感していただける部分もあれば納得のいかない部分もあるかもしれませんが、当時の私にとっては上記の①~③の3点が不安要素としてあったのが率直な感想です。

 

 そしてダラダラと十数分歩いているうちに病院に到着しました。その病院は総合病院ではなく個人で開業しているところですが、テナント全てが個人開業の病院が入っていました。病院名は明かせませんが、外観はすごく綺麗で清潔感のある病院でした。

 そして不安と緊張の中、病院の扉を開いたのでした。

 

 今回はここまで。閲覧いただいた読者のあなたへ、ありがとうございました。

うつにかかるまで~会社を休み「心療内科へ」~

   前回は「先輩の異動」・それに伴う「不安と焦り」・そして無気力状態で迎えた2016年6月といった内容を記載させていただきました。今回はその続きからです。

 

 2016年6月になると、同年5月までは「不安と焦り」やイライラの方が大きく、周囲からしてみれば、感情をすぐ表に出すような人間に見えたかもしれません。今思うと非常に迷惑な存在だったと思います。更に6月になると倦怠感・無気力な状態になり、心の中では仕事をしなければと思うのに体が思ったように動かなくなりました。仕事上でのミスが徐々に増えてくるようになりました。

  

  更に睡眠薬として服用していた「リスミー」の効果も次第に薄まっていき、勝手に余っていた「マイスリー」と同時に服用したり、「リスミー」を通常1日1錠のところを勝手に2錠服用していたりしました。いかに自分自身で睡眠をとるための努力を怠り、薬に頼っていたのかがよくわかります。ちなみにスタンフォード式 最高の睡眠」という本に記載されていたのですが、「睡眠と脳はかかわりが深い」とのことです。例えば不眠症は「プラセボ(偽薬)効果」が高く、ただの小麦粉でも医師が「かなり強い睡眠導入剤です」と処方すれば意外と患者はあっさり眠れたりするそうです。この本についてはいずれ前に紹介をしたうつ病休職」という本と合わせて書評という形で紹介できればなあと思っています。

 

   最終的に病院に行くきっかけとなったのは2016年6月某日の日曜日に会社に出勤したときです。基本的に私の働いている会社は土日が休日なので自主的に出勤をしていました。なぜ土曜日ではなく日曜日に出勤かというと、土曜日に自主出勤している人は意外と多いため、人の少ない日曜日に出勤をしていました。

※今振り返ると仕事を先送りしていた結果、日曜出勤をしていたのがよくわかります。

 

 せっかく、日曜日に出勤してパソコンのスイッチを入れたにもかかわらず、何もせずに帰ってしまったのです。仕事をするために会社に出社した人間がとる行動とは思えないことをしてしまいました。会社にいた時間よりも遥かに通勤時間の方が長く、誰が見ても無駄な時間を過ごしてしまったのです。そして、その翌日(月曜日)から倦怠感や不安が大きくなり、体が思うように動かなくなったため、会社を休むことにしました。休んだ当日にかかりつけの内科医の元へ相談しに行きました。そこで睡眠薬リスミー」と新たに漢方薬ツムラ酸棗仁湯を処方してもらいましたが、結局効果なく1週間丸々休みことになったのです。そして上司と相談した結果、「心療内科」に通院することに決めました。

 ※「ツムラ酸棗仁湯」の詳細については下記を参照願います。

 

酸棗仁湯(サンソウニントウ): ツムラの漢方処方解説 | 漢方について | ツムラ

 今回はここまで。閲覧いただいた読者のあなたへ、ありがとうございました。

 

スタンフォード式 最高の睡眠

スタンフォード式 最高の睡眠

 

 

うつにかかるまで~先輩の異動~

  前回のブログでは「うつ」になる決定的な要因となる出来事が発生したという件で終わりましたが、今回はその続きからスタートしたいと思います。

 

 今までの流れからすると嫌いな同僚と隣の席あるいは向かい合う席になったとか、そのような雰囲気を感じるかもしれませんが、実際は3月末に「信頼できる先輩が異動になった」ことです。これはかなり衝撃的な、まさに「青天の霹靂」と呼ぶにふさわしい出来事でした。

 

 実際は何となく薄々、気付いてはいたのですが、やはり上司より言葉にされると驚きを隠せませんでした。引継ぎ期間があるため、本格的な異動はゴールデンウィーク明けですが、それでも引継ぎ期間は1ヶ月ほどしかありません。その先輩は常に職場での中心的な存在で、その先輩に聞けばわからないことがないとも言えるぐらいの人物でした。

 

 当然のことながら先輩が抜けた後は単純に1人が欠員した状態となるので、現状のメンバーで先輩の仕事を分散して対応しなければいけません。ただでさえ仕事への不安のある中で、これ以上仕事が増えるのは「嫌だ」という思いと自分にその仕事ができるのかという不安が日々交錯していました。

 

先輩と引継ぎをしている1ヶ月間は仕事に対する緊張と不安の繰り返しであったものの、今振り返ってみると、仕事に関しては新しい世界を知るという上では充実していたのかもしれません。ゴールデンウィークが明けてからは先輩も本格的に異動となり、これからは仕事を1人で遂行することになりました。先輩は異動であり、退職をした訳ではないので、その都度不明な点は電話やメールなどで確認していました。

 

しかし、不眠症は継続したままなので肉体的にも精神的にも疲れ果てていたというのが本音です。更に先輩が異動して欠員した分の補充として、先輩と入れ替わるように新しい人が入社してきたのですが、その人の教育(いわゆる教育係)をする必要がありました。本来であれば私が楽になるための人員補充だったにもかかわらず、当時の私にとっては単純な負担増にしか感じなかったのです。今考えてみれば読者のあなたからすれば、贅沢なふざけた話に聞こえるかもしれませんが、当時の私に問いかければ何度でも「面倒くさい」と感じていたことは間違いありません。

 

  結局、無気力なまま「うつ状態」と診断される2016年6月を迎えることになりました。

 今回はここまで。閲覧いただいた読者のあなたへ、ありがとうございました。